獣とつきあい、焼畑で生計を立て、
祭りに願いを託した人びとの暮らし…
宮本常一のもと日本の村を撮り続けた写真家によるエッセイ。
焼畑と祭りにみる山村の民俗誌
須藤功 著
定価:2,750円(税込)
ISBNコード:9784540251092
発行:2025/7
出版:農山漁村文化協会(農文協)
判型/頁数:A5 312ページ
経済成長が最優先されたあの頃、昭和30~50年代の村では、鳥獣害に悩みながらも焼畑で生計を立て、祭りに願いを託した人びとの「ふつうの暮らし」があった。 宮本常一が所長だった日本観光文化研究所に所属し、日本全国の村で「あるくみるきく」ことを誠実に続けてきた写真家、須藤功による写真エッセイ。宮崎県西都市の「銀鏡神楽」、同県西米良村の「焼畑」、愛知県東栄町の「シシウチ」、三信遠の「田遊」「田楽」、アイヌの「イヨマンテ(熊送り)」…二度とふれえぬ時代の光景が、そこにある。
「子供強飯式」。少年の山伏が、頭に注連縄をおいた大人に、山盛りの茶碗の飯を残さず食べろと強くいう。
栃木県日光市・生岡神社 昭和46年(1971)11月
カムイノミ。囲炉裏に差し立てたイナウ(御弊)の火の神に熊送りをすることを報告し、神酒をいただく。
北海道平取町二風谷 昭和52年(1977)3月
豆腐田楽を食べる「たよがみ」。
静岡県水窪町(浜松市) 昭和45年(1970)2月
旧暦6月初壬の新穂花。ノロが神酒を新穂で3回かきまわす。
鹿児島県瀬戸内町須子茂 昭和53年(1978)7月
須藤 功(すとう いさお)
昭和13年(1938)秋田県横手市生まれ。民俗学写真家。民俗学者・宮本常一が所長の研究所に所属。全国を旅して農山漁村の人々の日々の生活を撮影して、地域の生活史を研究する。日本地名研究所より第8回「風土研究賞」を受ける。
著書に『写真ものがたり—昭和の暮らし(全10巻)』『大絵馬ものがたり(全5巻)』(農山漁村文化協会)など多数。
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----- 2025/10 -----
自著自薦 民俗学写真家 須藤 功
生まれは秋田県南の横手。家は街内ではなく山裾にあった。窓からも縁側からも見えたのは杉林の山だけ。初夏になると、その杉林の間にいろいろな木の実が稔ったから、あっちの山、こっちの山に行って木の実を採って食った。子供のころの楽しみだった。
春近くになると、山の雪も堅雪(かたゆき)になって、朝のうちなら雪山を自由に歩ける。穴を見つけて追い出すと、兎は素早く山の上に逃げていった。子供の足ではとても追いつけない。鉄砲撃(猟師)が、数匹の兎を背負って山から下ってくるのをよく見たが、熊を見た記憶はない。
私は職と住まいを転々と変え、昭和40年代には愛知県豊橋市に住んでいた。暮れになると、新聞に大きな鬼の写真が掲載される。何だろうと気になって、その鬼の出る祭りを訪れたのがきっかけで、豊橋市北部の山村一帯に数多く伝わる、歴史のある祭りの写真を撮るようになった。
テレビの取材で豊橋市に来た宮本常一に会ったことで、昭和42年3月から、宮本が所長の日本観光文化研究所の一員にしてもらった。
通称「観文研」が刊行していた『あるくみるきく』の取材を主に、行きたいところに行って写真を撮り、その土地の人々に話を聞いた。
農漁村にも行ったが、山に行くと何かしらホッとした。獣とは12月の宮崎県西都市の銀鏡(しろみ)神楽で、猪が大事な供物だったことから、似た祭りを探して訪れるようになる。
なぜ獣が大事な供物か、それはのちに気がつくのだが、焼畑で米のない山の人々の稗と栗の食に、獣の肉はそれを美味しくする大事な食材だったということである。
焼畑の山村では、その畑に侵入して作物を食い荒らす獣への対応を迫られた。焼畑のなくなった今でも、山村での獣への対応はつづいている。温暖化で棲息地が変わり獣の数も増えているようである。
『月刊NOSAI』2025年11月号(vol.77)
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●『日本農業新聞』2025年9月28日 あぜ道書店(読書欄)